ペーター・ヴォールレーベン

樹木に限らず植物というものは、自分の根とほかの種類の植物の根、また同じ種類の植物であっても自分の根とほかの根をしっかりと区別しているらしい。 では、樹木はなぜ、そんなふうに社会をつくるのだろう? どうして、自分と同じ種類だけでなく、ときにはライバルにも栄養を分け合うのだろう? その理由は、人間社会と同じく、協力することで生きやすくなることにある。木が一本しかなければ森はできない。森がなければ風や天候の変化から自分を守ることもできない。バランスのとれた環境もつくれない。 逆に、たくさんの木が手を組んで生態系をつくりだせば、暑さや寒さに抵抗しやすくなり、たくさんの水を蓄え、空気を適度に湿らせることができる。木にとってとても棲みやすい環境ができ、長年生長を続けられるようになる。だからこそ、コミュニティを死守しなければならない。一本一本が自分のことばかり考えていたら、多くの木が大木になる前に朽ちていく。死んでしまう木が増えれば、森の木々はまばらになり、強風が吹き込みやすくなる。倒れる木も増える。そうなると夏の日差しが直接差し込むので土壌も乾燥してしまう。誰にとってもいいことはない。 森林社会にとっては、どの木も例外なく貴重な存在で、死んでもらっては困る。だからこそ、病気で弱っている仲間に栄養を分け、その回復をサポートする。数年後には立場が逆転し、かつては健康だった木がほかの木の手助けを必要としているかもしれない。互いに助け合う大きなブナの木などを見ていると、私はゾウの群れを思い出す。ゾウの群れも互いに助け合い、病気になったり弱ったりしたメンバーの面倒を見ることが知られている。ゾウは、死んだ仲間を置き去りにすることさえためらうという。